言葉と人柄

3連休を利用して、妻の実家の新築の引越の手伝いに来ています。

同じ日本語でも、東北の独特の方言から垣間見る人柄や、義理の弟のお嫁さんが中国人ということもあり、異文化コミュニケーションの難しさなど、色々と滞在中に発見がありました。

日本語に限らず、言葉というのは丁寧であれば良いという問題でもありません。

親しみを感じるような言葉使いや、言葉から滲み出る人柄の魅力などが人と人を繋げていると思います。

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義理の弟は、家業として建築業に携わっていることもあり、言葉そのものは丁寧ではありませんが、味があります。

電話に出る時も、「もし」「なんだ」「はいよ」など相手によって様々な言葉を使い分けています。誰に対しても、丁寧な表現としての「もしもし」に統一する必要はないのです。

意図的に巧みに使い分けをしているのです。

「こんにちわ」という日本語も殆ど使いません。「ほい」「おう」「来たか?」このような単語を選んで使われています。もし、「こんにちわ」と丁寧に表現したら、その場の雰囲気がかなり他人行儀になってしまうでしょう。

お嫁さんの中国人が使う日本語も独特です。私のことは、「に」と呼びます。

お兄さんのことをかなり短縮して、親しみが篭っています。声が大きく堂々としています。「体温を測る」と言いたいところ、「うんど何?」と大きな声で言います。「うんど」は温度のことでしょう。それを、「うんどでなくて、おんどって発音するんだよ。」と教えます。そして、「体の温度は、体温っていうんだ」と続けます。すると、「たいおん、誰も教えてくれない。」と返ってきます。

食べ物を食べて、テーブルにこぼしてしまうと、「なんで落とす?おじいちゃんみたいだ。私、失礼?でも家族。大丈夫」と言われてしまいます。笑

確かに何の人間関係も出来ていないと少し失礼に感じる人もいるでしょう。

一応、引っ越しの手伝いということで、嫁の旦那として嫁の実家に来ている立場になりますが、そのあたりの変な気遣いはなく、「家族だから大丈夫」という一言を付け加えられると、これまたクッションにはなっています。笑

義弟の巧みな言葉の選択肢と、お嫁さんの親近感たっぷりの独特の日本語で、私も何の気遣いも感じることなく、新しい大きな家で居場所すら感じることが出来ました。

実際に、3階のスペースは、「ここ、にーの部屋。」と満面の笑顔と大きな声でそう言ってくれました。嬉しい限りですよね。笑

言葉は完璧である必要はありません。

その人の魅力が言葉に滲み出てくる使い方が大事だと思います。

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