
私は、これからの時代、50代でも60代でもまだまだ意欲的に働くことが出来る社会になって欲しいと願っています。
英語では、still juice in the tank などと言って、juice を「活力」があるという意味で使ったりします。
しかしながら、現実の日本の社会では、その年齢層の労働市場での評価はかなり低いと思います。それは何故なのでしょうか?日本には「年齢差別」や「年齢による偏見」が社会に根強くあるからでしょうか?
私の経験から言っても、日本の社会では、50代以上への風当たりはかなり強いのは事実です。
実際に、私は昨年末に会社を希望退職してから、日本の会社に数十社近く応募しましたが、面接まで辿り付くことさえ出来ませんでした。
その1つの理由は、「年齢の数字」が大きな要因となっています。

例え、英語が出来ると言っても、日本の会社では、好き好んで50代以上の年齢層を採用する企業はかなり稀だと強く感じました。
私の場合は、幸いなことに、アメリカの会社に英語力を活かして、年齢に関係なく採用され再就職が出来ていますが、日本の社会では何故それが大きな壁になっているのでしょうか?
アメリカの会社に応募する際には、CV(履歴書)には年齢を記載する必要はありません。
年齢の数字が大切ではなく、その人の経歴やスキルを重んじているからだと思います。
日本人は、真面目で他人を思いやる美徳があることは否定出来ません。
今回のパンデミックでも諸外国に比べ、日本人の行動は集団の価値を重んじ、他人と同じ行動を取り、マスクを付けて我慢強く自粛を行っていました。
では、何故、これ程までに年齢を気にする文化なのでしょうか?
私の私見だと、一つは、日本人は「若さ」に対する美徳が強くあり、「若いことが良いこと」という価値観があるかと感じています。
スポーツ選手でも、芸能界でも、そしてビジネス界でも、「若い力」を重んじます。

それはそれでとても良いことで、世界規模での高齢社会になる中で、若者は希少価値ががあり、社会全体でそれを尊ぶことは素晴らしことです。
しかしながら、一方で、まだ活力のある50代以上を社会がお粗末に扱うことも大きな問題だと思います。
Never too late 何を始めるにも、決して遅いことはないという英語の表現がありますが、日本社会ではそれが真でしょうか?
英語を始めるにも、年齢は関係ないでしょうか?
私の経験からの答えは、あなたが所謂、一般的な常識人で、日本人の価値観でガチガチな方であれば、厳しいと思います。
少し、傍若無人で変わっている位がいいのです。

周りの目を気にして、年齢による縛りや壁を乗り越えていけないようでは、新しいことを始めることは出来ません。
そうです。日本に生きている限り、「差別と偏見」の中で生きるしかないのです。でも、日本はまだ外国に比べて全然平和で素晴らしい美徳も沢山あります。
少しくらい、傍若無人に生きていくことをお勧めします。